レッドウッドシティ (Redwood City)
先住民オローニ族が住んでいた時代から材木などの積み出し港としての伝統まで豊かな歴史がある. 今日ではオラクルやエレクトロニック・アーツなど技術系の会社が拠点を構えている. 2010年国勢調査での人口は約76,815人だった. レッドウッドシティ港はサンフランシスコ湾の中でサンフランシスコより南では唯一水深のある港である.
現在のレッドウッドシティーの地域には先住民(インディアン)であるオローニ族が住んでいた. その後スペイン人が土地の所有を宣言し、をカリフォルニア・ミッションの伝道施設を建造した.
レッドウッドシティーは1868年に市制を施行し、サンマテオ郡で最初の市となった. それ以来、1856年に成立したサンメテオ郡の郡庁が置かれている.
この辺りの土地はランチョ・デ・ラス・プルガスと呼ばれる荘園の一部で、メキシコ政府により1835年にアルグエジョ家に譲渡された. アルグエジョ家による支配は、1846年に始まった米墨戦争の結果としてカリフォルニアがアメリカ合衆国の一部となった際に問題となった. アルグエジョ家の弁護人、サイモン・M・メゼスは1854年に土地所有の主張を弁護し、最終的に現在のレッドウッドシティの場所を購入する許可を得た. メゼスはレッドウッド・クリーク河岸に既に住み着いていた人々に土地の一部を売却し「メゼスビル(Mezesville)」と居住地に名付けた. 市はこの名を維持しなかったが、メゼスが残した土地に今でもメゼス・パークと呼ばれる公園が存在する. .
1907年、日系人移民の榎本兄弟(Eikichi and Sadakusi Enomoto 、榎本エイキチ、サダキチ?)が、チーズクローズ・カバー使用による新しい栽培法と言う技術革新により、アメリカ合衆国初の菊生産を開始、発展させた. 榎本兄弟やその他の日系移民一世はこの地域で菊生産を中心とする造園業を発展させた. 1926年に、商工会議所は当市を「世界の菊の中心」と呼んだが、1941年に日系人の強制収容等があり、その他の要素も加わり、菊生産を中心とする花卉生産ブームは終焉することとなった.
地図 - レッドウッドシティ (Redwood City)
地図
国 - アメリカ合衆国
アメリカ合衆国の国旗 |
アメリカ合衆国(United States of America)の頭文字を取って「U.S.A.」もしくは「USA」、合衆国(United States)の頭文字を取って「U.S.」もしくは「US」、または単にアメリカ(America)とも称される.
通貨 / 言語
ISO | 通貨 | シンボル | 有効数字 |
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USD | アメリカ合衆国ドル (United States dollar) | $ | 2 |